インターネットが鍵を握る!パラダイムシフトへの新しいシナリオ

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アインシュタインの言葉に次のようなものがある。

「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ考えのレベルでは解決することはできない。」

私たちが現在抱えている解決が困難な問題は、科学革命後の誕生した機械論的パラダイムによって作り出されているのではないだろうか。複雑な現象をフレームで切り取り、フレーム内部に単純な因果関係を見いだしていく方法論は、長期的に見ると、様々なところに歪みを生み出していく。

生じた歪みは、フレームの外部に置かれた弱者、地球環境、身体などに押しつけられ、様々な分野に同種の問題を生み出している。これらの問題を解決するためには、パラダイム自体をシフトしていく必要がある。ここでは、私が、パラダイムシフトへの試行錯誤を続ける中で、インターネットがパラダイムシフトに果たす役割について気づいたことを書いてみたい。

フラット化する社会ではコンテンツの価値が下がる

インターネットの発達により、様々な情報に無料でアクセスできるようになった。それに伴い、情報の希少価値が下がり、コンテンツの価格が急激に下がりはじめている。

私が長年関わってきた大学受験業界にも、その波が確実に訪れている。

私は、2005年から大学受験物理の動画講義をインターネットで販売してきた。当時は、「自宅から受講できる予備校講師の講義」というものに希少価値があったため、対面で行う講座と同程度の価格を設定し、予備校がない地方の受験生や、仕事をしながら勉強している再受験生が数多く受講してくれていた。

しかし、2004年にカーンアカデミーが設立され、Youtubeにも多くの講義動画がアップされるようになった。また、MOOCsのように大学の授業を無料で受講できる仕組みも生まれてきた。そして、それらに影響を受けた人たちが、同様のサイトを日本でも作り始めた。

カーンアカデミーの影響を受けたmanabee、eboardなどの無料動画サイトが立ち上がり、MOOCsの日本版であるJMOOCも始まった。日本でも動画講義を無料で視聴しながら学べる環境が生まれてきた。

当初は、無料ボランティアによる講義と、受験対策のプロの講義との質の差というものが存在していて、それが、無料の講義コンテンツと有料コンテンツとの差であるという説明も成り立った。しかし、予備校講師の講義を無料配信する学びエイドや、月額980円で予備校講師の講義を視聴できるスタディサプリが登場すると、「予備校講師の授業」というコンテンツは、世界中どこからでも無料、または、安価で視聴できるものとなった。

この状況は、予備校や塾業界だけでなく、学校の教員にもインパクトを与えている。教師の存在価値を「分かりやすく説明して、知識を伝えること」であると捉えた場合、その存在価値はすでにゆらいでいるなぜなら、生徒は、自宅からインターネットを通して分かりやすい動画講義にアクセスすることができるからだ。そのような動画の質は、今後、高まることはあっても、悪化することはなく、「授業を受けている教師の説明よりも、動画の説明の方が分かりやすい」という状況に晒されることになる。

塾や予備校や学校は、どのような価値を提供して、授業料を得ているのかを問い直す時代がすでに始まっているのだ。

また、この構造は、教育業界に限ったことではない。情報格差を土台にして価値提供を行っているビジネスは、必然的に同じ波に晒されることになる。この波に流されずに残る価値とは、どのようなものなのだろうか。

危機感から浮かび上がってきた教師の新しい存在価値

2012年頃、私は、教師としての新しい存在価値とは何かという問いを抱きながら仕事をしていた。そのアンテナにかかってきたのが「反転授業」であった。

当時の私は、予備校の講義を改善し尽くしたと感じていた一方で、自分の講義で成績が伸びる生徒と伸びない生徒とがいることに気づき、講義の改善という方法では、その壁を超えられないと感じていた。

また、有名講師を揃え、授業設計をしっかり行っているMOOCsの修了率が10%以下であることから、コンテンツの内容や、教材の設計以外に改善できることがあり、その部分が、教師としての新しい価値に繋がるものなのではないかと直感的に感じていた。

「反転授業の研究」というオンラインコミュニティを立ち上げ、オンラインの対話を重ねながら、様々な取り組みを行った結果、見えてきたのは、コンテンツの内容を理解し、身体化するプロセスにおいて、コミュニケーションが本質的に重要な役割を果たすということであった。

これは、いったいどういうことであろうか?

多くの生徒は、自分自身が何が分からないかが分からないという状態にある。疑問がなければ、考え始められないのである。そこで、生徒同士でコミュニケーションを取ると、相手の発言がきっかけになり、疑問がわいてきたり、相手の疑問について考える中で思考が整理されたりしてくる。その結果、頭で分かっていたことと、各自の個別体験とが結びつき、腹落ちするに至る。

私たちが対話を通して見つけた教師の新しい価値とは、生徒がコミュニケーションを取りながら腹落ちに至るプロセスを支える役割である。この役割のシフトは、「壇上の賢人から寄り添うガイドへ」という言葉で表現されている。

「内容を説明するプロセス」よりも、「腹落ちに至るプロセス」のほうが重要であるという考えは、「教える教師」から「学ぶ生徒」へ主役が交代するコペルニクス的転回を起こし、反転授業という授業スタイルを生み出した。教室でやることと家庭学習でやることとを反転し、より重要である側を教室でやろうというのである。

反転授業では、「内容を説明するプロセス」を、各自が動画を視聴して個別に学び、「生徒が納得に至るプロセス」を教師の支援のもと、コミュニケーションを取りながら教室で行う。これは、言い換えれば、コンテンツからコミュニケーションへ価値が移動したことを意味している。

反転授業の創始者であり、現在は、世界に反転授業を広める活動をしているジョナサン・バーグマン氏は、教師と生徒、生徒と生徒、教師と教師のコミュニケーションを改善することが活動のゴールだと述べた。

反転授業では、どのようにしてコミュニケーションを改善しているのだろうか?

コンテンツからコミュニケーションへ

反転授業を実施するようになると、最初にぶつかる壁がある。生徒が自律的に学ぶ状況をどのように創るのかということだ。教壇の上から生徒に「命令」する方法ではうまくいかない。「主体的に学びなさい」という命令は、パラドックスに他ならない。このような命令が発せられると、教師の期待通りに振る舞うことに慣れている生徒は、「主体的に学んでいるかのように見える振る舞い」をすることで、教師の期待に応えようとするだろう。しかし、これは、管理をいっそう強めていることに他ならず、学習を更に阻害する結果になる。コミュニケーションを通して学べる環境を作るためには、教師が生徒のコントロールを手放す必要がある。教師は、これまで身につけてきたマインドセットを大きく変える必要があるのだ。

従来の教室は、正しいことは褒められ、間違えると罰せられるという場であった。つまり、間違えてはいけない場であり、そのルールを体現していたのが教師であった。

しかし、コミュニケーションを取りながら納得するプロセスが効果的に働くためには、生徒が、自分の弱点を場に出していく必要がある。分からないことや、不確実なことについて話していく中で、納得に至るのである。

そのため、反転授業では、教師が、「この教室は、間違えることが許される場であり、それを手がかりにして学んでいく場なのだ」ということを繰り返し述べながら、教室に安心安全の場を創ることが必要になる。それは、今までのやり方を大きく転換することになる。この際、生徒が受け取るのは、教師の言葉ではなく、在り方である。教師の在り方が、生徒が安心して学べる状況を創るのだ。これこそが、新しいパラダイムに生きる教師が提供する価値の中で、最も大きなものである。

納得するプロセスにおいては、考え方の多様性が根本的に重要である。お互いが違うということが、お互いにとってギフトであるということを体験的に理解し、一緒に学び合うことで、1人では得られなかった深い理解が得られたという気づきを共有すると、そこから感謝が生まれ、関係性の質が高まっていく。また、そのようなコミュニケーションは、お互いにエンパワーし合うことになり、生徒の内発的動機が引き出されて、学びの渦が生み出されていく。

ここでは、教室を例に取って述べてきたが、様々な組織の運営でも同じことが言えるのではないだろうか。

権力を背景とした情報の一方向的な伝達は、組織のメンバーのコミュニケーションを阻害し、学習が起こりにくい状況を生み出す。組織に安心安全の場を創り、コミュニケーションを通した学びを促進することができる人が、新しい価値を生み出すことができるのではないだろうか。

コミュニケーションからコミュニティへ

寄り添うガイド役の助けを借りて、コミュニケーションを通して学ぶスキルを高めたメンバーは、ガイド役無しでも自律的に学ぶことができるようになる。このようなメンバーによって作られるコミュニティは、相互学習の場であり、大きな価値を持つ。

コミュニティが育つ過程では、対立や軋轢も生まれ、集団を不安定な状況へと追いやる。しかし、対立や軋轢は、それぞれが大切にしている部分が反応することにより生じることが多い。そこに留まり続けることによって、各自が大事にしているものが明らかになり、より深い部分で共感で繋がれるようになってくる。心の反応を手がかりにして作成した相互理解の地図が、コミュニティのかけがえのない財産になる。

多くの対立や軋轢を、学びの機会として乗り越えていくと、何が起こっても、それを学びの機会にすることができるコミュニティが育ち、コミュニティ内に叡智が蓄積してくる自分自身のままで存在することができ、コミュニケーションを取りながら、各自の学習サイクルを回していくことができる場そのものが、大きな価値を持つようになる。

このようにして、学びのパラダイムにコペルニクス的転回が起こると、コンテンツ→コミュニケーション→コミュニティと必然的に価値が移動してくるのだ。

こうして生まれたコミュニティは、機械論的パラダイムの終焉期に生み出された生命論的パラダイムの卵になるだろう。

オンラインコミュニケーションの進化がパラダイムシフトを加速する

私が主催している「反転授業の研究」は、4000人以上のメンバーからなるオンラインコミュニティである。立ち上げ時からずっとオンラインでの活動にこだわってきた。リアルの活動が混じることで、住む場所による制約による参加度の違いが出てきてしまうが、すべてをオンラインにすることで、想いさえあれば、誰でも参加できる状態になるからだ。

完全オンラインでコンテンツ→コミュニケーション→コミュニティの価値移動を可能にしたのは、オンラインコミュニケーションの技術の進化である。2015年にWeb会議室Zoomが登場してから、オンラインコミュニケーションの質が格段に上がり、オンラインでの場創りが、以前に比べて圧倒的に楽になった。

これまでは、対面とオンラインの決定的な違いは、その人の醸し出す雰囲気を感じ取れるかどうかにあったのだと思う。多くの人が、それを電話やスカイプなどでは感じとれないと感じたからこそ、重要な決断をするためには、「会って話さないと」ということになっていたのだ。しかし、Zoomを用いると、オンラインでも「その人の醸し出す雰囲気」を感じることが可能になってきた。私は、現在、オンラインでの対話を通して雰囲気を感じ取り、仕事の契約など、重要な決断を行っている。

また、Zoomのブレークアウトセッション機能を使うと、例えば、オンラインに80人ほどで集い、ゲストスピーカーのトークを全体で聴いた後、4人ずつ20組に分かれて対話するといったオンラインセッションを簡単に行うことができる。このような対話型のセッションを繰り返す中で、学習するオンラインコミュニティが生まれたのだ。

新パラダイムの卵をどのように外部へ拡散していくか

オンラインコミュニティでは、権力関係が働きにくい。権力は、閉じ込められた閉鎖的な空間でこそ、よく働くからだ。だから、オンラインで、権力関係を背景とした管理をしようとすると、だいたい失敗に終わる。一方で、学びのパラダイムを転換して、安心安全の場を創ると、想いだけで人と人とが次々と繋がり、あっという間に様々なプロジェクトが立ち上がっていく。住んでいる場所に関係なく、想いがシンクロする人同士が繋がっていくので、そのスピード感は、今までになかったものである。

このようにしてできた、オンラインコミュニティで育まれた生命論的パラダイムの卵を、どのようにして外部へ接続していくのかが、現在、私たちが抱える課題である。異なるパラダイムの間は、通約不可能で、エッシャーのだまし絵のように図と地が入れ替わり、パラダイム間を行き来すると、めまいを起こすような感覚がある。そこに橋を架けていく作業は、簡単ではない。

私たちは、2つの方法を試してみた。

1つめは、ハイブリッドセッションと呼ばれる手法である。これは、リアルの会場で行われるワークショップにスクリーンとプロジェクターを設置し、リアルの対話とオンラインの対話を平行して行う方法である。同じテーマに対して、異なる見方が示されることにより、無意識に自分の考えの土台になっているものを意識化に引っ張り出すことが可能になる。2016年11月22日に岩手県立花巻北高校で実施した「世界と繋がりながら語り合うハイブリッドワークショップ」では、花巻北高校に60名、オンラインで25名が参加し、インスピレーショントークを共有した後、3ラウンドのワールドカフェを行った。ハイブリッドセッションのメリットは、オンラインの場への参加を呼びかける必要がないことである。組織間学習を起こしたい相手のホームグランドにスクリーンを置き、こちらから繋がっていくことができる。

2つめは、オンラインフェス。2017年1月8日に実施した「オンラインフェス2017」では、 約20個のオンラインワークショップを実施し、ランチやディナー、懇親会もオンラインで行った。お祭りが持つ独特のワクワク感を感じながら、オンラインワークショップを体験してもらい、オンラインワークショップの新しい可能性を探った。最初の一歩を踏み出す敷居が高いところがオンラインワークショップの弱点であるが、お祭りのパワーでそれを乗り越えてしまおうという試みであった。

オンラインコミュニティの中で育まれた生命論的パラダイムの卵を外に出していくと、外部との接触点で大きな混乱を生み出す。しかし、それは、必然的なことであり、混乱の乗り越え方を学ぶ貴重な体験となる。ハイブリッドセッションや、オンラインフェスは、異なるパラダイムの接触点を創り出す試みであり、混乱の乗り越え方を学ぶ機会を創出する試みである。

私たちの試み以外にも、パラダイムシフトに関する多くの試みがなされている。そのような試みの末に新旧パラダイムの間に橋が架かり、大きなうねりが生まれたとき、本格的にパラダイムシフトが起こるはずだ。

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田原真人

田原真人

オンライン教育プロデューサー・自己組織化ファシリテーター 早稲田大学理工学研究科博士課程で生命現象の自己組織化について研究後、河合塾の物理講師になる。2005年に物理ネット予備校(フィズヨビ)を立ち上げる。反転授業との出会いをきっかけに、ピラミッド型の社会システムや教育システムに疑問を抱く。オンラインコミュニティに自己組織化を起こすための運営を実践し、コミュニケーション在り方を変えることから組織や社会を変化させることに取り組んでいる。 田原真人公式ブログ http://masatotahara.com  /  反転授業の研究 http://flipped-class.net/wp /  Zoom革命 http://zoom-japan.net

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